1210年|4月 5月

2019年07月21日

稲荷

十二日、己亥(つちのとい、きがい)、天気晴れ。
権弁が先陣して稲荷に参る。御奉幣事のための指示や供えとのこと。
予は御所に参る。人々は遅れて参り、催しに加わる。

日の出以後数刻の後、出御がある。信能朝臣・予は先駆け。巳の一点(※午前9時頃※)に稲荷社に御着きになる〔御迎えの人々が済々と(※多くて盛んなさま※)会に集まる〕。
鳥居の内において御禊がある。
権弁が幣を持って立ち、少将・予は御あがない物を役送する(※取り次ぐ※)。
次に宝前に御参り。御奉幣。神主が祝詞を奏上する。賽祓のとき杉の葉を進める。御先達がこれを進める。
主典代が禄をお与えになる。次に御経供養がある。
この間、予は逐電する。私的な奉幣。護法送りの後、杉の葉を腰につけて帰ってくる。すぐに御布施を引かされる。

御導師 被物1色、宰相中将がこれを取る。裏物、信能朝臣がこれを取る。
題名僧(※だいみょうそう。経供養のときなどに経文の題目を読み上げる僧※) 裏物〔予がこれを取る〕。


次に命婦の御前に御参り。御奉幣以後に鳥居内の小社の前に御参り。護法送りのためである。御奉幣の後、入御。御車を御所に寄せる〔几帳(※きちょう。間仕切り※)を出し、御屏風を設け、命婦の西廊の後ろ西面の妻戸為其所〕。
次に源大納言が直衣(※のうし。公卿の平常服※)で進み出て、御車を寄せる。公卿・殿上人、束帯・直衣・布衣各有之、
道の御供の人々はここより逐電。窮屈の間、早くもって退出。詳しく見及ばない。

   今度の御供の人数
 修明門院御幸人数
御先達〔大僧正〕 御導師〔大納言僧都 隆円〕
女房六人〔民部卿殿 大納言殿 丹後殿 宮内卿殿 大輔殿 出雲殿 以上常御所女房〕
雑仕一人 小雑仕一人 女官一人 刀自(※雑役を勤めた女官※)一人
公卿〔民部卿 源宰相中将〕
殿上人〔一条少将 信能 権弁 宗行 藤少納言 頼|〕
上北面〔木工権頭清実 大隈守康業 左馬権頭忠綱 左近大夫信経 蔵人康定〕
下北面〔隼人正成重 壱岐左衛門尉久政 主馬○(首脱か)左衛門尉秀能
西面〔源二兵衛尉 新藤兵衛尉景家 糟屋三郎有久
医師〔侍医基成〕 陰陽師〔陰陽権助晴光〕
主典代1人 庁官4人 庁守1人
召使8人 召次15人〔御壺召次1人、交召次4人・国召次10人、〕
□取1人 御力者18人 次御輿御力者36人
(進物所)番衆6人 大炊2人 □原1人
進物所召次1人 釜殿6人 里神楽6人
 院号以後初度の御幸を為すにより、今度用いられ晴儀、前宮内少輔越茂奉行、


夜に入って御所番を為すため、宿に参る。
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2019年07月21日

本宮を進発

七日、甲午(きのえうま、こうご)、天気晴れ。
早朝に御前に御参り。東戸において奈木の葉・大豆粉・牛王を進める。予は御輿の前にお仕えする。

次に湯川で例のごとく昼御養。次に近露に着く。予宿侍。
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2019年07月21日

本宮へ

六日、癸巳(みずのとみ、きし)、天気晴れ。
早朝に宝前に御参り。御着きになる間に、那智での儀式のように、門の下において奈木の葉牛王を進める。
次に御乗船。楊枝河原で昼御養、謂えども用意無入御。
未の刻(※午後2時頃※)に本宮に御着きになる。宝前に御参り。次に御所に入御。
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2019年07月21日

新宮へ

五日、壬辰(みずのえたつ、じんしん)。
早朝に宝前に御参り。牛王奈木の葉を進める〔御先達が進める、御輿に入御、宝印を捺す〕。お還りになる〔人々は化粧あり〕。

佐野で昼御養がある。
新宮に御着きになる。今日は五月会である。よって河原において仮屋を構え神殿とする。杉の葉をもって葺いて幕を引き回す。神供を供える。依為魚味仮この儀式があるとのこと。八女など成群。
御先達が申されて言うことには、「御幸を待っていまだ神供を供えていない、河原に行きなさい」とのこと。よって昇り奉って御輿に居る。
人々はつつしんでお仕えする。祢宜が神酒を献ずる。御先達がこれを取って御輿に進み入る。御飲みになったか。すぐに出られる。次に御輿に順番に進む〔上北面、進み入る〕。次に人々が御盃を給う。これを飲み下す。

次に八女が袖を翻す。御先達が扇をお与えになる。次に宝前に御参りして、御所に御下がりになる。
夜に入ってまた宝前に御参り。次に礼殿御所に御参り。御加持があり、布施をお与えになる。次に乱舞の事がある。
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2019年07月21日

那智

四日、辛卯(かのとう、しんぼう)、天気晴れ。
早朝に宝前に御参りした後、那智の御山へ御幸〔公卿以下騎馬で先駆け〕。

次に阿須賀王子(※阿須賀神社※)に御参りし、御奉幣がある。祢宜が祝詞を奏上する〔衣冠(※いかん。束帯に次ぐ正装。束帯から下襲(したがさね)と石帯をはぶき、表袴(うえのはかま)と指貫(さしぬき)にかえた活動的な服装※)〕。主典代が禄をお与えになる。御正体を祢宜が懸け奉る。御経供養・御神楽は日頃のよう。

次に高蔵王子〔紀伊湊〕に御参り。
次に佐野で昼御養事がある。次に佐野王子に御参り。次に一乃野(※市野々王子※)、次に道祖神、次に那智に御着きになる。

まず滝下に御参り〔拝殿において御輿に居て昇り奉る。信能朝臣らがこれにお仕えする〕。御奉幣・御経供養は例のごとし〔道すがら御導師が布施をお与えになる。殿上人がこれを取る〕。道すがら御正体・絵馬・八女など残りの分がここで献上される。
次に千手堂に御参り。まず御誦経がある〔寺の僧が御導師を勤める〕。予は一裏を給う。次に御加持があり〔山籠30口〕、布施をお与えになる〔布5反・一裏、白い美しい布である。予らがこれを取る〕。次に御参宮。次に御所に御着きになる。


次に夜に入って御奉幣がある。その儀式は新宮のよう。ただし飛滝権現の御幣を取りそろえる。
証誠殿で御奉幣がある。次に礼殿御所に入御。御明以下儀式の順番は本宮や新宮のよう。よってこれを略する。

執行の禄は予が取る。僧供の事は礼のごとし。供物が少なかったので御先達はことに傷つけられ申すか。15果積む。じつにもって不便不便(※ふびん。具合が悪いこと、そのさま※)。
験競べ・乱舞は本宮のよう。方延年の遊がある。上下の僧徒がこれを準備する。
事が終わって御所に御下がりになる。
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2019年07月21日

新宮

三日、庚寅(かのえとら、こういん)、天気晴れ。
早朝に御宝前に参った後、御船にお乗りになる〔御船を寄せることは、別当が指図したのか。引き幕を用意し、仮に御船の辺りを引き廻される〕。御先達は御船に参られない。

次の船は小さな屋形を構える。
女房の御船が2艘、同じく小さな屋形がある。

雑人が順番に乗船し先陣。
公卿・殿上人は一人一人私の船を用いる。

楊枝河原で昼御養。入御はない。

午の初め(※午前11時頃※)に新宮に御着きになる。
御輿に御乗りになり、すぐに御参宮。次に御所に御着きになる。
予は宿所を退出して、すぐに参宮・奉幣。この御山の師の小松法橋はすぐに兼ね行う。予は奉幣・経供養以後退出。

御所に参り、夜に入って御奉幣がある。事ごとに本宮のよう。ただし出御のとき御禊はない。お供の人々は奉幣衣裳である。
また若宮殿の御前、一万十万の御前で、併せて取り合い、御奉幣がある〔御輿は本宮での儀式のよう〕。事が終わって礼殿御所に入御。

御明布施〔信能朝臣がこれを取る〕、御誦経〔予がこれを取る
御経供養〔宰相中将がこれを取る〕、御神楽の禄〔庁官がこれをお与えになる〕、
御加持布施〔予らがこれを取る〕、別当の禄〔信能がこれを取る〕、
次に御鉢五口〔御先達がこれを取る。本宮のように簾の下に参る。ただし祢宜は浄衣を差し置く役である〕、次に僧供を引く〔御所に御下がりになる〕。


今日、明日の伝馬のことを重く加え催す。僧綱以下これを進める。公卿・殿上人は庁より伝馬をくださらない。また船がなくその指図をする。七条院の御幸は、殿上人がこれを給うとのこと。良し悪しはどうだろうか。
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2019年07月21日

本宮2日め

二日、己丑(つちのとうし、きちゅう)、天気晴れ。
尋常の浄衣を着て御所に参る。
権弁が礼殿において僧供事を行なう〔昨夜許分なお指図を致した。芝僧供には及ばない〕。
予は終日、御所にお仕えする。明日の御船のことは権弁が指図致す。行事庁官奔走。御山の僧綱以下可然輩も皆宛召された者である。

夜に入って御宝前に参る〔御先達が参入の後に出御がある。予らは例のごとく松明を取る〕。礼殿御所に入御の後、まず御鉢を供えられる。次に僧徒の験競べがあり、五番の後、また八女の風流を用意する。神楽があり、次に乱舞。御先達・公卿・殿上人以下同じく乱舞がある。事が終わって御所に御幸。
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2019年07月21日

本宮

五月一日、戊子(※つちのえね・ぼし※)。
朝、御浴・御拝・御禊。終わって出御。
王子(※近露王子※)に参御。
次に檜曽原・継桜・中川など王子を例のごとく御参。
次に熊瀬川で昼御養〔別当(※※)が同じくこれを設けたのか〕。次に出御し、石神王子に御参。次に湯川御所に着御し御昼養がある。臨時の御浴・御禊などがある。
人々は臨時の浴をなし、めいめいに宿所を退出。

しばらくして皆が帰参し、次いで出御。湯川王子に参御。次に猪鼻王子。次に発心門において御禊があり、同王子(※発心門王子※)は杖を献御される。御笠と四手(※しで。玉串や注連縄などに下げる紙※)を同じくこれ(※杖※)に付ける。
各々の私の先達が杖を授ける。

御奉幣以下の事が終わって、御先達が金剛杖を進められる。〔源宰相中将がこれを取り、御輿に進み入り、すぐに(※院は※)お返しになる。御先達が直に進み入るべきか。その後、宰相中将にお預けになるべきとのこと。但し両説か。不審〕
次に出御。次に内水飲において御小養を設ける〔湛政法印がこれを設ける〕。次に同王子(※内水飲王子。後に水呑王子※)に参御。加津江坂を御歩きになる。

予らは先行して、祓戸王子辺の小堂において聊か事に宜しい(※適切な※)浄衣を着る。
王子に参り、御幸を待ち奉る。人々は皆ことごとくつつしんで仕える。

ここより神宝以下行列〔行事院司・庁官が御養所から前行してこれを行くとのこと。ただこの度はそうではない。御歩きのとき自然に遅々となるためか。もっとも可理〕。祓戸王子に参御の後、ここにおいて御禊がある。〔大麻で、まず神宝を撫で、庁官役之後、信能朝臣に授けて、本宮の方に向かわせなさる〕


次に本宮に参御、行列。

まず神宝。次に御先達。次に公卿・殿上人。
次に御輿。次に上北面。次に女房輿3張。
次に歩いて行く女房〔下北面の輩がこれに付き添う〕。


まず御装束を改めずに御参宮〔神宝は油戸に入らない。回廊の外から庁屋に付ける〕。御路は東の回廊の外に沿って参御。証誠殿門から御輿のまま入御。上北面の輩4人がこれに昇り奉る〔あるいは、ここから御輿を御下りになる。また例である。このとき殿上人は御牟志を進める〕。この間、別当は雑人を払い下がらせる。
順番に御巡礼の後、一万十万前の戸から御退出させられる〔御輿を御下りしているときは御輿を楼門の下に準備する。ここから御乗りになるためである〕。
御所に着御。御浴水がある。
音無河近代熊乃川とのこと。

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2019年07月21日

滝尻・近露で水浴

三十日、丁亥(ひのとい、ていがい)、朝の間、雨が降る。午後は天気晴れ。
朝御浴・御拝・御禊。終わって出御〔このとき辰の初めである〕。

滝尻において臨時の御浴がある。よって仮に御所に入御する。予らは一昨日真奈子宿において浴した。よってこれを略す。
次に滝尻王子において御奉幣。終わって例のごとく下がる(但し八女少々袖を翻し、禄物は及ばずか、尋ねるべき記す)。公卿は終わって下がり先陣。雑人はまた追い立てられる。御歩きのためだ。

予らは先行。木根坂において進物を上げる所に小さな屋形を構える。御小養事がある(御輿入御の以前に予らは飢えを補った)。次に重点原において御所を構える。御昼養事がある(御儲人は尋ねるべき記す。但し別当行詮がこれを儲けるか)。ほどなく出御し子(※重点王子※)に御参。次に大坂本王子を御参、例のごとし。申の初め(※午後3時ころ※)に近露御宿に着御。

 臨時の御浴水・御禊などがある。夕方、御浴・御拝。また例のごとし。
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2019年07月21日

木を伐って橋にする

二十九日、丙戌(ひのえいぬ、へいじゅつ)、天気は徐々に晴れてくる。
朝、御浴・御拝・御禊。例のごとし。
なおもって御逗留。水の勢いがいまだ減じない。
申の刻(※午後4時ころ※)になって河原が少々現れて、瀬を渡り人が通ったとのこと。

小先達が雑人を率いて高い巌の上の大樹を伐って、伏せて河の上に横にし1本の木の橋にする。雑人が渡るためである。

夕方、御浴・御拝。例のごとし。
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2019年07月21日

石田川を渡る

二十八日、乙酉(きのととり、いつゆう)。
夜半から大風大雨。
潮の音ははなはだ高く、隣里の人の声は喧しい。
私的な行水を行なって以後に御所に参る。大風雨が今だやまない間、御拝所伊予簾が高く翻る。よって仮に木の枝を渡し、これを結び付け、内に屏風を立てる。宗行朝臣・予らがこれを用意する。しばらくして人々が参入。

夜明けの間に御浴・御拝・御禊、終わって出御。
秋津王子に御参り。泥土の間、予は騎馬で先駆け。
丸・三栖・八神など3ヶ所の王子に御参りは常のごとし。
次に稲葉根山麓を、稲葉根王子に参御。御奉幣以下、常のごとし〔八女8人、唱人2人、各々白布1反をお与えになる。懺法僧20口、各々米1斗を供える。布1反をお与えになる〕。五体王子のため、御先達以下、馴子舞。

次に石田一瀬において御昼養がある。岸の上に仮屋を構える。不及行宮。次に出御。
人々が一瀬を渡る。予も同じく相従う。しかれども昨夜から甚だしい雨がやなまいので、河の水は只今欲増の程である。御歩きあるべきか否か、御先達が令下許定。

御幸が遅々としている間、人々はまた渡され返る。予はまた相従う。水已出之間、水限は胸にまで及んだ。しかれどもなお指示がある。
御輿に乗り、一瀬をお渡りになる。予は堪らず水を行く間、避苔路了。
御幸はまた二瀬から令避苔御。洪水の間である。

予は先行して鮎川王子に参る。権弁・宰相律師・大納言僧都らは休息。小時水上檜垣一両流れ去るとのこと。人々は驚き見る。
而矢津里渡第六瀬の間、水深く流魚の間、溺れ死んだ者4、5人、相続き流れ去る。驚きながら見物する。常住者を召して助けを求めた、1、2人を引き上げる。皆以其気絶了、勿論とのこと。

しばらくの間、人々は言う。民部卿の従者とのこと。
ある者が走って来て言う。相模権守任業・左馬允実仲・文章生名字○(脱あるか)、
小童〔民部卿乳母の子〕、その従者5人、以上9人流死。為之如何。金剛童子が棄てるように命令なさるのか。実に前生の宿縁である。権現が定有御計か。恐るべし、慎むべし。

また常の習悲而有余者か。権守は衰え老いる。実仲者院御在位の時〔任じられました〕、(藤原長房)戸部皆近、仕者を召した。四人所召具の者は皆もって去った。可否迷而何為。

次に俄に真奈子に宿御。しかれども人家はみなおよそ卑しい。而故金南房が聊か適切なので、御所に占有して大幕を引かれ、入御。御先達以下人々はみなことごとく近くにお仕えする。滝尻に渡る瀬が洪水で渡御が難しいためである。衆儀(※しゅぎ。大勢で討議すること※)があり、ここに御宿する〔この時、申斜である〕。

この間、懐山□陵の水の勢いは古昔を越えたとのこと。夕方に御浴御拝は常のごとし。
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2019年07月21日

進発

二十一日、戊寅(つちのえとら、ぼいん)。天気晴れ。
夜半に行水の所作。先達が祓い、杖を授けた以後に御所に参る〔小袴・浄衣・折烏帽子・脛巾・志度、如常差刀〕。先の民部卿(藤原長房)以下、人々が少々参集。別当が浄衣を着て参入。出御事口入。

寅の刻(※午前4時ころ※)に御浴。御禊の儀は先々のごとし。御拝はまた前と同じ。御先達が参入。礼拝は例のごとし。神宝 南の庭に立つ〔北面・庁官監臨の行事〕。まず御禊が終わり、大麻庁官がこれを取る。神宝を撫で、次に一条少将に伝え進める。少将はこれを取り、陪膳源宰相中将に進める。
陪膳人が簾の中に進み、人形前々のごとし。御先達以下順番にこれを引く。次に撒御注連。御先達がこれを行なう。便宜所においてこれを焼くのか。次に出御。

先の御先達の進めた御杖は、源宰相中将に伝え進めるのか。予らは松明を取り庭の上に並んで居る。
宰相中将と信能朝臣が御輿に寄る。次に上北面の輩が御輿に寄る〔便宜所これに寄る〕。この間、公卿・殿上人は門外に列んで居て御送り。乗御の後、予は門外に出る。人々は松明を取り、前を行く。

道筋、行列。
 まず神宝、行事庁官、検非違使右府生信成がこれに相添う。
 次に御先達、
 次に公卿、
  民部卿長房卿〔高折烏帽子〕・源宰相中将有雅卿、
 次に殿上人、
  左少将信能朝臣〔浅黄大帷を着る〕・権右中弁宗行朝臣・少納言頼ー巳上松明を取る、御輿前にお仕えする。蔵人藤康定〔後陣にあるとのこと、御歩の間は近辺程にお仕えするのか〕
御送りの公卿、源大納言〔(久我)通光〕・土御門中納言〔(源)定通〕・大炊御門宰相〔(藤原)仲経〕・左衛門督〔(藤原)教成〕・坊門宰相中将〔忠信〕、
殿上人、東宮権亮(鷹司)頼平朝臣・前左衛門佐(高階)経時朝臣・少将(藤原)範茂朝臣・右馬頭(藤原)親忠朝臣・左少弁(藤原)定高・九重維成朝臣らが相加わる。
道者が先に行き、殿上人は一人一人松明を取る。ただし於道者々殊候御輿の前に。

次に御輿〔菊八葉の網代。袖は金銅を以て菊八葉を打ち透かす。御簾は例の如く十葉文、雨皮(※あまかわ。雨天の際、牛車・輿などにかけた覆い※)は菊八葉文がある。(※網代輿は、網代を張り、黒塗りの押し縁(ぶち)を打ちつけた輿。上皇・親王・摂政・関白が用いる※)〕
御輿は如在之礼也。交御女房に御交りになり密々に後陣を御歩きになるとのこと。
造道地蔵堂前で御輿をを留める。ここから御乗りになるためである。人々はなおもって先に行く。

次に女房御輿3挺、小御所女房・大納言殿・民部卿殿・丹後殿。
次に騎馬女房3人。雑仕1人・次雑仕1人・女官1人・刀自(※下級の女官※)1人。
宮内卿殿・大輔・出雲、ただし歩行の間、於馬者先に行く。路旁から近辺これを引くか。

次に上北面の輩4人〔木工権頭(藤原)清実・大隈守(藤原)康業、左馬権頭忠綱・散位信経〕。
次に侍、下北面。隼人(藤原)成重・左衛門尉紀久政・左衛門尉藤秀能。
西面。左兵衛尉源湛・右兵衛尉藤景家・加須屋(糟屋)乃三郎藤有久。
次に進物所。
次に庁。
主典代使右衛門志安部資宗
庁官、左衛門志盛光・府生信成・官吏生康直・同官公成
   以上、近例により神宝に相添う。各々先に行くのか。


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2019年07月21日

二十日、丁丑(ひのとうし、ていちゅう)。朝から甚だしい雨。
暁と夕方に御所作、一如昨。
花山院前右府・右大将(三条公房)・二条大納言(定輔)ら以下、進女騎馬・鞍を置き、相雨具を具す〔唐□(竹かんむりに登)所相具すのだ〕。
付可然之受領被召之か。
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2019年07月21日

精進屋3日目

十九日、丙子(ひのえね、へいし)、天気晴れ。
暁夕、昨日のように御所で所作など。
今日所々諸寺の人夫が到来し、人々に分け給う間、喧嘩。
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2019年07月21日

精進屋2日め

十八日、乙亥(きのとい、いつがい)、まだ曙の間、庁官らが相率いて参入。
立明、先の御浴、次に出御し、御禊がある。その儀式は昨夜のごとし。
信能朝臣が遅参の間、予がお仕えし役送。予は先之閑所において例のごとく行水・礼拝。
所々と御庄から庄の人夫らが到来。庁が順番に請け取るのだ。
すぐに神宝所・進物所等以下に分け遣わす。

山伏、夏僧装束・引物・糧などが到来。御室(道法法親王)と花山・前右府(忠経)以下が各所被沙汰進のだ。
御膳3度、常のごとし。進物所が進めるのだ。
夜に入って〔戌の刻(※午後8時頃※)〕御浴・御拝は常のごとし。庁官を召して松明、例のごとし。御禊のない例である。施食毎日供えられるのだ。
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2019年07月21日

精進屋に入る

承元4年4月17日、甲戌(きのえいぬ、こうじゅつ)。今日、修明門院が院号の宣下を受けて後、初めて熊野御幸があり、よって精進屋に入御の日である。天は晴れ、風は静か。権現冥助之先表以之知るべし。

七条院(※藤原殖子。後鳥羽天皇の母※)は七条坊城御所為其所〔侍所為庁、南殿為御先達(長厳)御所〕、上皇(後鳥羽上皇)の毎度の精進屋はここである。布設・掃除以下、前もってその指図がある。
抑依鳥羽・後白河2代の嘉 、上皇あるべし[     ]仰せ下す所。さる12日坊門院〔(※範子内親王※)上皇の御姉、主上(※土御門天皇※)の准母后。〕、頓以帰□(寂か)。[  ]御軽服日数その憚りがある。よって於御幸者延引。来月遂げられるとのこと。日時が決定した。


権右中弁(葉室)宗行朝臣が早朝に図書頭(賀茂)在親朝臣を召して日時を考えさせ、箱に入れて、これを奏上する。
次に御浴。次に御精進屋に入御。
これに先立ち予は潔斎、浄衣〔立烏帽子、公卿・殿上人以下、小袴・浄衣を着るべしとのことを仰せ下される。予らはその命令を守った〕を着る。
あかりを灯すころに、精進屋に参御。
これに先立ち、人々は参会。
数刻の後、入御〔庇御車で〕がある。
門の下において御牛を解き放つ。

先駆けの人々。源大納言(久我通光)・東宮大夫(大炊御門師経)以下、門外に列ぶ。内官〔直衣〕が参入。
前もって御車寄せを設ける。

権弁は門内において入御の間に雑人を去らせる〔小袴・浄衣・三目所を着るのだ〕。
御車を庁官らが引き入れる間に、権弁は松明を取って先に行く。参詣しない者・公卿・殿上人は門内に入らないのがしきたりである。
夜の間は階と左右に常灯を供える〔在打板〕。内府(徳大寺公継)が御車を寄せられる間、宗行朝臣を召し、相ともに打板以下所装也。
この間、参詣者・公卿・殿上人は列んでいる。

次に下御の後、御車を引き出す〔門外にいて指図がある〕。源中納言雅親卿の宿所に立てられた。御精進屋の内では御車は立てられない。これはしきたりである。
次に庁官らが監臨、犬禦を立てる〔坊城面両門、南面小門、北面小門などである。坊城面を御所にするためである〕。

まず御禊装束を供える。御拝仮屋三面懸亘伊予簾(南面御階以西砌の下にこの仮屋はある)。その中に□筵2枚を供え、その上に高麗半帖を供える。その北に膝突〔円座〕を敷き、陰陽師の座にする。
八足前 居御注連長○(※木へんに長※)〔庁官2人がこれを役する〕
次に出御。次に御贖物を供える。陪膳は源宰相中将(有経)〔先々四位の殿上人がこれを勤めるが、別に御定があり、卿がこれを勤める〕が役する〔左少将(一条)信能朝臣、権右中弁宗行朝臣〕。この間、御先達〔大僧正長厳〕・公卿らは人形。上北面散位(藤原)信経がこれを賦(くば)る〔先々六位が勤めるのだ。この度はかくのごとし。如何〕。今殿上人・上北面分は、庁官1人でこれを賦る。
これに先立ち陰陽権助(安部)晴光朝臣が〔長袴で〕座に着く。御禊が終わって、大麻を進める。信能朝臣が進み寄ってこれを取り、源宰相中将に伝える。中将が簾の中に進み入る。
次に御贖物を取り下げる。役人は初めてのようだ。この間、公卿・殿上人以下中門の辺に列んでいる。床子(※しょうじ。腰掛け※)を用いる者もあり、敷皮を用いる者もある。この間、庁官1人が南庭に居る。松明を燃やす。


次に権弁が御幣を取って〔庭の中でこれを取る。庁官がこれを伝える〕、御先達に献じる。御先達は南に向いて勧請〔この間、庁官が御花米を置く〕。々々が終わって小先達・宰相律師が幣を給い、南庭ナギの柴垣の上に立てる。

次に御注連を引く。波介札をなどを立てる。御先達がこれを行なう。
御拝屋の御注連は上北面大隈守(藤原)康業・左馬権頭(藤原)直綱らが進み出て、これを引く。御所にするためである〔先崎は侍がこれを引くか〕。余りの所々から庁官・召使らがこれを引く。

次に取り下げる半帖筵1枚上敷御皮〔殿上人がこれを致す〕。御拝の所あるべし。今度、御障の間、御拝座無出御。御浴の後、注連を引く。御所に御座。御拝はなしとのこと。よってこの儀式はなし。

次に夕御膳を供える〔朱漆御盤・基埦御器〕。まずご御飯上分を取り、食棚の上に置き施す〔番衆の役である。この棚は南庭のナギの柴垣の上にこれを立てる。前もって所立設けるのだ〕。公卿・殿上人・上北面食事進物所がこれを設ける。よってこれを行なって宿所に退出。
精進を始める。先達がこれを行なう。夕方、所作が終わって御所に帰参。宿でお仕えする。
posted by 藤原頼資&てつ at 14:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記