藤原重子(ふじわら の しげこ/じゅうし。1182年〜1264年)。高倉重子とも。
後鳥羽天皇(1180年〜1239年)の後宮で、順徳天皇・雅成親王・寛成親王(尊快入道親王)の生母。
建久8年(1197年)16歳で守平親王(後の順徳天皇)を産み、その後も皇子2人を産む。
承元元年(1207年)25歳のとき、准三宮になり、さらに女院号の宣下を受けて修明門院と称した。
承元4年(1210年)29歳のとき、守平親王は順徳天皇として即位し、重子も国母となった。
修明門院が初めての熊野御幸に出発したのは承元4年4月21日。
順徳天皇が即位したのは承元4年11月25日。
修明門院の熊野御幸の回数は11度。
2009年05月15日
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