1210年|4月 5月

2019年06月26日

石田川を渡る

二十八日、乙酉(きのととり、いつゆう)。
夜半から大風大雨。
潮の音ははなはだ高く、隣里の人の声は喧しい。
私的な行水を行なって以後に御所に参る。大風雨が今だやまない間、御拝所伊予簾が高く翻る。よって仮に木の枝を渡し、これを結び付け、内に屏風を立てる。宗行朝臣・予らがこれを用意する。しばらくして人々が参入。

夜明けの間に御浴・御拝・御禊、終わって出御。
秋津王子に御参り。泥土の間、予は騎馬で先駆け。
丸・三栖・八神など3ヶ所の王子に御参りは常のごとし。
次に稲葉根山麓を、稲葉根王子に参御。御奉幣以下、常のごとし〔八女8人、唱人2人、各々白布1反をお与えになる。懺法僧20口、各々米1斗を供える。布1反をお与えになる〕。五体王子のため、御先達以下、馴子舞。

次に石田一瀬において御昼養がある。岸の上に仮屋を構える。不及行宮。次に出御。
人々が一瀬を渡る。予も同じく相従う。しかれども昨夜から甚だしい雨がやなまいので、河の水は只今欲増の程である。御歩きあるべきか否か、御先達が令下許定。

御幸が遅々としている間、人々はまた渡され返る。予はまた相従う。水已出之間、水限は胸にまで及んだ。しかれどもなお指示がある。
御輿に乗り、一瀬をお渡りになる。予は堪らず水を行く間、避苔路了。
御幸はまた二瀬から令避苔御。洪水の間である。

予は先行して鮎川王子に参る。権弁・宰相律師・大納言僧都らは休息。小時水上檜垣一両流れ去るとのこと。人々は驚き見る。
而矢津里渡第六瀬の間、水深く流魚の間、溺れ死んだ者4、5人、相続き流れ去る。驚きながら見物する。常住者を召して助けを求めた、1、2人を引き上げる。皆以其気絶了、勿論とのこと。

しばらくの間、人々は言う。民部卿の従者とのこと。
ある者が走って来て言う。相模権守任業・左馬允実仲・文章生名字○(脱あるか)、
小童〔民部卿乳母の子〕、その従者5人、以上9人流死。為之如何。金剛童子が棄てるように命令なさるのか。実に前生の宿縁である。権現が定有御計か。恐るべし、慎むべし。

また常の習悲而有余者か。権守は衰え老いる。実仲者院御在位の時〔任じられました〕、(藤原長房)戸部皆近、仕者を召した。四人所召具の者は皆もって去った。可否迷而何為。

次に俄に真奈子に宿御。しかれども人家はみなおよそ卑しい。而故金南房が聊か適切なので、御所に占有して大幕を引かれ、入御。御先達以下人々はみなことごとく近くにお仕えする。滝尻に渡る瀬が洪水で渡御が難しいためである。衆儀(※しゅぎ。大勢で討議すること※)があり、ここに御宿する〔この時、申斜である〕。

この間、懐山□陵の水の勢いは古昔を越えたとのこと。夕方に御浴御拝は常のごとし。
posted by 藤原頼資&てつ at 01:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
 
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